ちぬうみ創生神楽とは

神楽

神楽は古事記及び日本書紀の「岩戸隠れの段」という神話の中に登場します。

天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神・須佐之男命(すさのうのみこと)の悪業に腹を立て天の岩戸に隠れてしまい、世界は闇に閉ざされてしました。八百万の神々は集まって、なんとか天照大神を引っ張り出そうと岩戸前で祝詞を奏上、そして天鈿女命が面白おかしく舞い、神々の笑い声に誘われた天照大神が岩戸を少し開いたところをがこじ開けて天照大神を引っぱり出したことにより世界に光と秩序が戻りました。

その際の舞が神楽の起源とされ、能や歌舞伎などの多くの芸事の起源ともされています。神楽の「楽」は古語で鎮魂を意味する「アソビ」という読みもありました。

現在神楽は、宮中で行われる御神楽(みかぐら)と民間で行われる里神楽(さとかぐら)の大きく2つに分類されます。 

創生神楽

日本国エンターテインメント観光大使であり、日本創生神楽の宗家である表 博耀氏は、幼少の頃から古神道にみられる日本古来の動きや形・作法を学び体得してきました。
その結果「古きを尋ねて新しきを創り出す」という考えが生まれ、このコンセプトを基に伝統文化の源である神楽の本流を残しながらパフォーマンスや振付を創作し「創生神楽」を創り上げてきました。神楽に見られる、神や自然に対する畏敬の念を奉納する形や表現方法等をそのままに残した現代の「神楽」に相応しい内容になっています。

ちぬうみ創生神楽

創生神楽宗家である表氏の指導のもと、古事記にも登場する茅渟の海(大阪湾の古称)から「ちぬうみ創生神楽」と命名し、泉佐野に伝承する伝説や物語を題材に泉佐野独自の神楽舞「ちぬうみ創生神楽」を創りあげました。

2016年、神楽を通じて郷土への誇りや愛着心、地元に残された伝承文化やその歴史などを次世代へと引き継ぐことなどを目的に、日本国観光庁エンタメ観光マイスターであり、創生神楽宗家である表博耀氏を招き、誕生したのが「ちぬうみ創生神楽」です。

「ちぬうみ創生神楽」は地域に伝わる伝説や物語などを題材に、茅渟の海を由縁とする序の舞そして上之郷に伝承する
衣通姫(そとおりひめ)伝説をもとに「衣通姫之舞」、日根神社を由縁とする「神武東征鉾立之舞」、蟻通神社に伝わる蟻通物語を題材にした「蟻通神楽」これら三徳の舞と「ちぬうみの唄」などを創りあげました。佐野独自の神楽舞いで、神社奉納や公演の他、普及と周知活動に取り組んでいます。

加えて、このほど「旅引付と二枚の絵図が伝えるまちー中世日根荘の風景 」が日本遺産に認定されたのを受け、九条政基公の日記「旅引付」に記された、田楽や盂蘭盆会の風流舞などの芸能をもとに、比波之里(ひはしり)神楽「羽振之舞(はふりのまい)」、そして大木地区に鎮座する火走神社の御祭神である火の神「軻遇突智(かぐつち)」を題材にした火の神神楽「火伏之舞(ひぶせのまい)」が完成しました。

ちぬうみ創生神楽実行委員会は三徳の舞と比波之里神楽・火の神神楽を舞い、地元伝承文化の継承、神楽っ子の育成をはじめ、世界平和を願い、日本の伝承文化・日本の美を伝える「創生神楽」を通じて日本から世界に向けて平和創造のメッセージを発信して参ります。

神楽舞の紹介

■序の舞

ちぬうみ海流の舞

記紀神話にあるがごとく海を渡ってきた民たちが、赤く染まった海洋を探して現在の大阪湾まで辿りついた時の故事の始めに因むものである。

茅渟(ちぬ)の海とは、大阪湾の古称。「ちぬうみ」という表記は古事記の「神武天皇」即位前に「都」とする土地を求めて九州から東に進む「神武東征」に登場します。負傷した兄の五瀬命の腕の血を洗い流した時、海が血で染まり「血沼海」(ちぬうみ)と呼ばれるようになりました。21世紀の茅渟の海には「関西国際空港」が鎮座し、茅渟の海を横切るスカイゲートブリッジが関空への大きな架け橋となり、世界へと繋がっています。

■三つの徳を授ける舞(三徳の舞)

事業開拓成就の徳を授ける「神武東征鉾立之舞」

あらゆる苦難を乗り越え初代天皇に即位したことにあやかり、事業開拓成就の舞としている。

古事記・日本書記が伝える「神武東征」三人の兄と共に九州を出発した神武一行は、現在の大阪湾といわれる浪速渡を経て大和に入ろうとしたが、地元豪族の抵抗にあい惨敗、兄の五瀬命は矢を受け負傷します。軍勢に敗れたのは「自分は日の神、天照大神の子孫でありながら、日の昇る東へ矢をむけたのは天の意志に逆らうことだった」と悟り、大阪湾を迂回南下し紀伊の熊野を経由して大和を目指すことにしました。途中、大阪と和歌山の県境付近で五瀬命の腕の血を洗い流した時、海が血で染まり「血沼海」(ちぬうみ)と呼ばれるようになりました。その後も苦難の旅は続き、次々と兄たちは命を落とします。事態を憂いた天照大神は、宝剣と道案内として八咫烏を授けます。八咫烏は熊野から大和に入る険しい路の先導を務めました。そして大和の豪族と決戦に及んだ時、金色の鳶(とび)が現れます。敵勢は、鳶の輝きに目がくらみ、それが勝因となり、大和を平定し神武天皇に即位しました。

※日根神社由緒略記の創建のいわれに、紀伊熊野から大和に入る途中、日根野の地に神を祀り戦勝を祈願したのがはじまりとされる、とあります。境内には、神武天皇の父ウガヤフキアエズノミコトと母タマヨリヒメが主祭神として祀られています。日根神社鎮座地:泉佐野市日根野 アクセス:南海本線泉佐野駅から犬鳴山方面行きバ「東上」下車すぐ

美と健康、敬愛成就の徳を授ける「衣通姫之舞」

衣通姫は透き通るほどの美女と言われ、滲みでて溢れるほどの美貌に、時の天皇が恋をしたお話。この美しさにあやかり「健康」「美貌」「恋愛成就」の神徳を授かる舞としている。

泉佐野上之郷に残る【衣通姫伝説】衣通姫は、絶世の美女で、その麗しさは、名前のとおり、「衣を通して光輝いた」と言われています。衣通姫は、仁徳天皇の第4皇子、允恭(いんぎょう)天皇の皇后の妹で、姉の縁で天皇の妃になりました。天皇は衣通姫を深く寵愛します。が、皇后の嫉妬を恐れた天皇は、和泉国茅渟と呼ばれていた上之郷に別邸を作って衣通姫を住まわせました。允恭天皇は狩猟にかこつけてしばしば行幸なされたそうです。が、皇后の怒りからそれもできなくなり、茅渟宮に残された衣通姫は「とこしえに君もあへやも いさな取り 海の浜藻の寄る時々を」(海の浜藻が波のままに岸辺に近寄り漂うように、まれにしかお会いしておりません)と寂しさを詠いました。和歌三神の一柱として数えられています。

※泉佐野市上之郷には、衣通姫が住んでいたとされる茅渟宮跡があります。茅渟宮所在地:泉佐野市上之郷 アクセス:コミュニティバスにて南海本線泉佐野駅またはJR阪和線日根野駅より南回りバス「上之郷」下車が最寄

長寿知恵孝行の徳を授ける蟻通神楽之舞

蟻通能でも有名な丹生の大明神の通名である蟻通大明神の説話に基づく七曲がりの玉石の管に糸を通すという物語です。これは年老いた親を大切にすることにより、知恵を授かるという親孝行の代表的な一節で、これにあやかり、知恵長寿を授ける舞としている。

蟻通神社に伝わる蟻通物語昔、唐土(もろこし)の国が日本を属国とするため提示した難題のひとつに「うねうねと中が曲がりくねっている玉に糸を通せ」がありました。困った中将は、知恵ある父に相談すると「蟻の腰に細い糸を結んで玉の出口の方に蜜を塗ると蟻は蜜の匂いを嗅ぎつけて出口に出てくる」との助言を受け難問を解決。日本は難を逃れることができました。帝は褒美をとらせようとしますが、中将は老いた両親を助けてほしいと願い出ます。当時、老人は都払いにするという決まりがあったからで、これを聞いた帝は感心して、この習わしを改め、世の人々に親孝行を奨励したといわれています。後に中将と知恵のある両親は蟻通明神として祀られました。

※蟻通神社鎮座地:泉佐野市長滝 アクセス:JR阪和線長滝駅西へ徒歩10分。コミュニティバスにて南海本線泉佐野駅並びにJR日根野駅から南回りで蟻通神社下車すぐ

火の神神楽「火伏之舞」

火の神「軻遇突智」は、国生みの神「伊邪那岐」と「伊邪那美」の間に産まれた最後の神様です。昨今の人気アニメ等に登場するヒノカミ神楽の舞や呼吸が火を自由に操る古神道の奥義といわれる由縁は正に「軻遇突智」に由来するものです。火の神を崇め祀り、火と水を極めることにより火水=カミ(神)の力を発現させ万世万物の元の気、「元気」を取り戻す、火と霊が一体となる体さばきと呼吸が、訪れた万民を癒し元気にする、それが火の神神楽「火伏之舞」です。

比波之里神楽「波振之舞」

古くから残る盂蘭盆会の盆踊りは、あの世から帰り来る先祖たちとしばしの時を過ごす和合の舞であり、ご先祖の威徳によって、現世の私たちが幸せに暮らせる喜びと感謝を示す共楽の舞です。いにしえから祭りとは豊作と豊穣を祈り、収穫に感謝を捧げ「敬神崇祖」と現世の威徳「和合礼道」に勤めることが子々孫々と繁栄を繋ぐ基本となります。その喜びと感謝、そして結びと繁栄を紡ぐ豊穣群衆の舞が「波振之舞」です。

「火走神社」
火の神様「軻遇突智」を祀る火走神社の起源は、推古天皇二年と歴史は古く、「滝宮」「滝大明神」と呼ばれ、「政基公旅引付」には雨乞いの儀式や田楽、猿楽、盂蘭盆会の風流念仏などの芸能も数多く行われたと記されています。また男巫による火渡り行事などが行われたことなどから、火の起源の社「火走神社」と語り継がれています。

火走神社鎮座地:泉佐野市大木 アクセス:JR「日根野駅」または南海本線「泉佐野駅」より犬鳴山行きバス「中大木」下車すぐ

ちぬうみの唄(作詞・作曲 表 博耀)

一、とうとう流れる 清水の元に
問うて訪ね来れば 泉の森よ
伏して拝み祀らば 気高き神の
祝う森の深さよ 詣での道よ

二、ゆうゆう湛える 潮の奥に
立ちて進み参らば 泉の里よ
祈り捧げ祀らば 海原神の
示す生みの姿よ 幸わう道よ